2019年9月16日月曜日

第74話 “錦江湾”発祥の地

3ヶ月も更新していませんでした、このblog…
夏は忙しい。出歩く事に。
という事で、この更新していなかった時期に行った所のひとつ、錦江湾のお話。


黒川岬という名の岬が姶良市加治木町にあります。
そして
その岬が見える「黒川岬展望公園」という公園が最近整備されました。
桜島と海が見え、心地よい風も吹く結構良いスポットだと思います。

「いつか行かなきゃ!」とずっと思ってた黒川岬!
なぜなら

“錦江湾発祥の地”だから!

正式には「鹿児島湾」、それよりも一般的な「錦江湾」。
昔から「なぜ“錦江湾”と言うんだろう?」と思っていました。
「錦江湾」を「鹿児島湾」とも言うことすら知らない人もいるでしょう。それくら知名度のある「錦江湾」。


薩摩藩初代藩主島津家久が詠んだ和歌がキッカケで「錦江湾」と呼ばれるようになったと言われています。
それは一体どう言う意味なのか?
ダラダラと文章にしても自分でも分かりにくいのでざっくり箇条書きにまとめてみました。

家久が「浪のおりかくる錦は磯山の梢にさらす花の色かな」と言う和歌を詠む
加治木島津家の久徴(ひさなる)が「家久の和歌に“錦波”の2文字が使われてるから前の海を錦江湾と呼ぼう」という事が「黒川記」に書かれている
 
よって、錦江湾の名が起こった

と、いわれています。

でも、さらに色々調べてみると…
元々、黒川記の原文には「鹿児島湾」ではなく「黒川」を「錦江」と呼ぶ、と、書かれているらしい(ちなみに「江」には「大きな川」と言う意味もあるそうです)。そして、「黒川」の別称だった「錦江」が海を指すようになったのは明治24年頃からで、次第に市民権を獲得していった、
と言う話も出てくる。この話をさらに掘り下げていくと「鹿児島湾」の発祥の事なども出て来て、結構面白い。気になる方は調べてみてください。


私達が当たり前のように呼ぶ「錦江湾」。
奥深い歴史があったんですね!


※この日は台風の影響だと思うのですが手前だけ海が少々濁っていました。でも普段はおそらくキレイな色の海だと思います!