2019年1月20日日曜日

第69話 西南戦争関連の地~鹿児島市~

明治初期、西郷隆盛率いる薩摩軍(薩軍)と大久保利通率いる新政府軍(官軍)がおよそ7ヶ月に渡って戦った日本史上最後にして最大の内戦、西南戦争。

その西南戦争の爪跡が今も残っている鹿児島市内。代表的で分かりやすいものだとかつて私学校があった周辺の石垣がそうでしょう。私学校や鶴丸城があった場所には立派な石垣が今も残っていてその石垣に弾痕跡がたくさんあります。どちらも国道10号線沿いに並んでいます。



今の医療センターがある場所にかつて私学校はあったそうで、医療センターの入口入ってすぐ右手に私学校跡碑があります。車の出入りがあるので行かれる方はお気をつけて。


そして、やはり行くべき城山。
西郷さん達も見たであろう城山展望所からの眺め。その展望所の近くに西南戦争時に薩軍が本営を置いたと言われる場所があって石碑が建てられています。

城山展望所の駐車場やお土産やさんが並ぶエリアに、ちょっとした階段があって、そこを上るとドン広場という公園のような場所があります。

そのドン広場にあるという表現よりは、その敷地内にあるという表現の方が正しいかもしれません。なぜなら…広場に行ったからといっても見当らないからです。ドン広場に行っただけでは「どこ?」と思うだけ。ドン広場の奥(階段登って真っ直ぐ進む)をちょっと上に行くと石碑があります。歴史とは関係無さそうな何か近代的な大きめの人工物の横にあります。私も分からず、たまたま犬の散歩をしていた地元っぽいおば様(人少ないです)に聞いたら「何の碑か分からないけど何かそれっぽいのがありますよ」と案内してもらい、見つけました。
でもそんなに広い敷地ではないし、上れそうなところも限られているので探せばすぐ見つかると思います。とりあえず階段登って真っ直ぐ進んだ先をちょっと上に行ったら左側にあります。

その城山を下って行くと西郷さんが最後の5日間を過ごしたと言われる洞窟があります。現在は穴は塞がれています。
さらに下ると…
「敬天愛人」のトンネルが見え、それを過ぎると西郷さんの終焉の地があります。

 ここで別府晋介の介錯で最期を迎えた西郷さん。この後、別府晋介はもちろん一緒に西郷さんの最期を見守った桐野利秋や村田新八たちも西郷さんの後を追った。そんな地です。本当に切ない。

そして前回の南洲墓地。
最後にもう一つ。
新政府軍(官軍)が本営を置いた場所もあり、今は鹿児島市役所になっています。その碑は道路沿いに面していて、鹿児島市役所本館の裏、角にあります。
普段何気なく通る道にこういう石碑が結構ある、歴史多き鹿児島市です。

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